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2013年4月30日

「ゴールデン」の意味

2013年4月22日

人生の古戦場

2013年4月15日

偶然が必然に変わるとき

2013年4月 8日

日本の未来を信じることこそ愛国心

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「ゴールデン」の意味

2013年4月30日

「愛知県豊田市にある、ある大手の自動車メーカー」、わざわざ企業名を出さない言い替えの辞書が、NHK内部にはあります。
これがなんの意味があるか考える思考が停止していることに、この組織の問題点があると在職当時から思っていました。
「フランスで出されているレストランのランク付けの本」や、「イギリスで出されている世界でいちばんのものを集めた本」などと、疑問にも思わず使用しているバカさ加減は、死ぬまで言っていろ、というしかありません。
同様に「ゴールデンウィーク」という呼び方も、もともと映画会社がつけた言い方だし、 世の中には連休もとれない人がいるから、という理由で放送禁止用語です。
「大型連休」などという普通名詞にすれば問題はないという変な理屈をつかっています。
半世紀以上同じ見解、時代に合わせて変えてゆくという柔軟さもないようです。
「ゴールデンシクスティーズ、黄金の60代」
という私のネーミングからはじまる「GS世代研究会」も放送禁止用語ということになりますね。
団塊の世代というネーミングは人数の多さを表してはいますが、彼らの財布が「ゴールデン」で、そこに日本の消費のカギがあると思うから「ゴールデン」なのです。
「ゴールデンウィーク」と言ってはいけない理屈からすれば、世の中みんなゴールデンではないから、苦情電話が来たら困る。皆様のNHKとしては使えない、という論理でしょう。
しかし「だから何も言わない」のではなく、その特徴、本質をしっかりとらえないと民間企業は生き残れません。
「親方受信料で事なかれ主義」は、やはり私の体質には合わなかったのだと、毎年この時期に納得しています。

人生の古戦場

2013年4月22日

宮崎に行ってきました。
時計の針の進むスピードが遅いと感じます。
のどかでいいなと思うのはこの歳になったからで、20代の血気盛んな時期を5年この地で過ごした時は島流しにあったような焦燥の日々でした。
東京がバブルで躍り狂っていた5年間、夕刊がない全国わずか5県のうちの1県であるこの県の新聞では、本来は夕刊がとりあげる時間帯のニュースである「プラザ合意」は翌朝小さく載っただけ、その重大性に気が付きようもありませんでした。
そんなことより鶏肉価格の低迷のほうが大問題という土地柄だったのです。
当時九州沖縄に勤務するNHKのアナウンサーはおよそ80人、東京に行かれるのは毎年せいぜいひとりという狭き門でした。
何がなんでもどうしても東京にゆくんだという決意のもと、一秒も無駄にしてはならずと仕事に明け暮れた毎日でした。
通常の転勤の4年目に長崎の優秀な同僚が東京に行くので、一年転勤を遅らせると、上司から連絡があり、結局5年目を迎えた時、もし翌年東京転勤がなければ死を覚悟しその遺書を懐に鬼気迫る形相で放送局に半ば住み込み状態で働いていました。
私がとった手法はほかのアナウンサーがやらないやり方でした。
毎日一本と自分にノルマを課し、番組提案書を書き続けたのです。
番組提案はディレクターの仕事、アナウンサーは番組が作られる過程でディレクターから起用されるもの、という常識を覆し、宮崎放送局の10人以上いるディレクターが出す総番組提案の数よりアナウンサーの私が一人で書く提案書の数が上回っていました。
最初は叩かれましたが、だんだん精度が上がり、ついには一ヶ月間宮崎放送局で出す番組の半分以上が私の提案になりました。
そうすれば、むしろディレクターが雇われで、リポーターやキャスターは私がやることが当たり前になります。
当然出番が増え、その何本かが宮崎ローカルではなく九州管内、そして全国放送にリメイクされ、ついに東京にも「宮崎に変なアナウンサーがいる」という評判が流れるようになりました。
毎日一本提案を書こうと思えば、休日などはまちに取材に出づくめです。
一秒でも無駄にせず、町中で起きる小さな変化にも常に関心を寄せていました。
経済を歩きながら考える今日の私の原点が、知らず知らずのうちに育まれたのでした。
あの若い日々、追い詰められた5年間を過ごした宮崎は、私にとって人生の古戦場。
あの戦いの日々歩いた街を30年たちゆっくりと味わって歩きました。
宮崎がなければ今の自分はありません。

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偶然が必然に変わるとき

2013年4月15日

キリストが産まれてから2000年あまり。
国境をまたぐような戦争が地球上になかった年は30年くらいしかなく、とくに19世紀以降は戦争に次ぐ戦争でほとんどありませんでした。
そういう意味でここ3年の世界は極めてまれな平和な地球だったのです。
原発事故後もしシリア内戦のミサイルが国境を越えていたら原油価格ははねあがり、火力発電にシフトしていた日本経済は大打撃を受けていたと思います。
ある意味偶然の幸運に救われていたことを私たちは意識しなければ次の危機管理がおろそかになるというものです。
さて北朝鮮のミサイルに対する警戒が高まっているなか、日本経済はアベノミクス効果に酔いしれています。
私は危機感いっぱいです。
過去の大戦争が偶発的な事件から始まったことは歴史がおしえるところ。
北朝鮮をなんと無謀な、と笑えないのは、かつての日本は世界から今のかの国のように見られていた時代もあったということです。
いま地球上の危機は、日本にとっても危機であることを認識すべきです。

日本の未来を信じることこそ愛国心

2013年4月 8日

失われた20年の果てに大震災と原発事故があり、また世界に例をみない高齢化もあって日本の未来に悲観する声が多かったのは事実ですが、私は絶対にそんなことはないと言い続けてきました。
困難はあらたな需要を生み、技術とソフトを考える力があるかぎり過去からは想像もしなかった新しい産業が生まれるからです。
大切なのは前向きな発想です。
アベノミクスは経済的効果だけでなく、前向きに考える転機を提供したかも知れません。
今年になって、そう思うようなことが次々に話題に上っています。
メタンハイトレードなど新エネルギーの話はその代表例。
お掃除ロボットのような家電感覚のロボットが普及しそうな期待は、在宅介護という厳しい現実があるからこそ意味があります。
また原発事故処理の必要性からもロボット技術が求められています。
日本はこうしたロボット技術で世界最先端を走っています。
また航空宇宙産業への期待は炭素繊維など素材面からも日本企業参入の可能性と期待が高まります。
787問題は残念ですが、国産初のジェット機MRJなど、今後航空産業は日本の主要産業になる可能性は十分です。
さらに発展途上国へ日本の私鉄エンジニアリング経営を売り込むことで大きな貢献ができます。
小林一三が発明した、鉄道事業不動産事業、百貨店などの小売りやサービスを融合させたビジネスは今後発展途上国の国つくりになくてはならないものです。
冷静に考えれば解決しなければならない課題がある限り、経済には無限の可能性があります。
過去からの延長だけで数字やグラフだけで未来を予測することに限界があるのだと思います。
日本人が祖国日本の成長を信じないでどうしますか?
私は日本の未来を信じることこそ、真の愛国心だと思います。

カツゲン

2013年4月 1日

北海道で半世紀のロングセラー商品「カツゲン」。
道民の多くがこどもの頃から飲んで育ったという乳酸飲料で雪印MEGMILKが製造販売する量販商品、道内ではスーパーで1リットルパックが100円前後で売られています。
道民から愛されてきたこの商品、北海道以外ではこれまでアンテナショップ的なところでの限定販売にとどまっていました。
しかしなぜかここにきてテレビなどで全国に紹介され有名になっています。
その理由として、カツゲンという縁起の良い名前があります。
「勝つ源」ですから受験にご利益があると、ゲンを担ぐひとがこれを飲んで合格、というわけで製造工場には「カツゲン神社」まであり、祈願に訪れる人がいるくらいなのです。
私は、この商品は日本全国でまもなく大ヒットすると思います。
発売開始から50年目に最高の売り上げを記録するなんて、まさに「カツゲン」らしいと思いませんか。
大切なことは、そういうヒットの兆しをつかむ嗅覚です。
そして実際にヒットさせるにはどんな手が必要か考える習慣を身に着けることではないでしょうか。
ストーリーマーケティングによりデビュー50年で紅白初出場のような「美輪明宏」的商品の予感です。

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