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70歳近くにしてはあまりにも幼稚

2016年5月30日

定年後をどう生きたらいいのか。平均寿命が延びたおかげで、まだあと20年、8万時間もあるぞ、といわれる(加藤仁『定年後の8万時間に挑む』)。さあ、もう仕事はない。どうするのかね? つまらない計算などするんじゃないと思う。なにが8万時間だ。わたしたちが生きるのは1日1日の24時間だけである。その積み重ねである。老後の貯金は6千万必要だ、という論法とおなじである。8万時間が一度に来るわけじゃない。
これまでも20歳になったときは、もう大人だ、社会的責任感をもたなければな、などと決心せず、ただ、そうか、ついに20歳か、と思っただけでやりすごし、30になったときは、もう若くはないなと思い、40になったときは、これで50になったらどう思うだろうかと考えたが、実際に50になったときは、いよいよオヤジに突入かと一瞬思っただけで、実際にはなんということもなかったのである。
60歳になったときも、もう50歳で予備練習ができていたため、なにが還暦かと思っただけである。当然、赤いチヤンチャンコなど着なかった。代わりの赤い座布団もなし。冗談じゃないのである。しばらくは、さてこのあとどうはするかね、とは思ったが、結局どうもこうもなかった。年齢には慣れる。年齢は思うほど自分を規定しないものである。自分の感覚のまま生きればいいのだと思う。というより、日々にあっては自分の年齢など忘れているものだ。
南伸坊が、現在は「ジジイがジジイらしくするのがいいという価値観がこわれてしまった」のではないか、と書いていたが、そのとおりだろう。じいさんのあるべき理念型などもうどこにもない。わたしもまた「じじいらしく」など考えない。昔のじいさんタイプも現在のじいさんタイプもまったく意識せずに、ただ自分が好きな風にしているだけなのだが、しかし、それがあまりにも幼稚だという自覚がある。これは自分でわかっている。これまでの人生がたぶん甘かったのだろう。
観るテレビや映画は娯楽主体。テレビのバラエティ番組をばかにしているくせに、バラエティ好きである。読む本も今や娯楽本ばかり。好きな食べ物はもっぱらB級グルメである。大戸屋のチキンかあさん煮定食に和光のヒレカツ定食、リンガーハットの皿うどん、「てんや」の野菜天丼、マクドナルドのフライドポテト、コンビニのメンチとからあげ。
考えることも、途中でこんがらがってくるとやめてしまう。こんなこと、おれが考えてもしょうがない、と思ってしまうのだ。それでめんどうくさくなり、この国はカエルのつらにションベンの恥知らずの国だなとか、舞い上がった政治家だなとか、85歳のストーカーってなんだこのじじいはとか、400キロの防波堤ってなに考えてるんだ専門家はと、一言毒づいて終わりである。はっきりいって、私の行動半径や思考半径は、日々の生活を中心とした数キロ以内の出来事に限られているのだ。
『定年後7年目のリアル』勢古浩爾著 草思社文庫

あまりに残酷な「美貌格差」

2016年5月19日

容姿の劣る男性の場合で、平均的な男性に比べてなんと13%も収入が少ないのだ。女性の場合は4%だから、醜さへのペナルティは3倍以上にもなる。なぜこれほどまでに男性は容姿で差別されるのだろうか。
 この疑問に対してハマーメッシュは、母集団の違いを指摘する。成人男性の8割以上が仕事に就くのに対し、アメリカでも就業する女性は7程度だ。これは専業主婦になる女性がいるからで、経済学的な観点からは、彼女たちが労働市場を忌避するのは期待できる賃金が少ないからにちがいない。美貌による賃金格差がある以上、働かない選択をした女性の不美人度は高い(美人のほうが働く意欲が強い)はずで、母集団から容姿の劣る女性が抜けたことで男性との差が生じたのだ。
 しかしこれだけで、男性と女性の「醜さ」の大きな格差のすべてが説明できるだろうか。ここではもっと常識的な説明を考えてみたい。
 雇用主は男性と女性の求職者の外見を同じ基準で判断するわけではない。女性の求人で、モデルや美容部員、接客業なら容姿を重視するだろうが、事務職などでは外見を考慮しないことも多いだろう。男性の場合は、イケメンだけを採用するのはホストクラブくらいかもしれない。だとしたら雇用主は、男性の外見のどこを気にするのだろうか。
 それは美醜ではなく暴力性だろう。
 あらゆる社会において、女性よりも男性の犯罪者が圧倒的に多いことは共通している。日本でも刑法犯に占める女性の比率は15~20%程度で8割以上は男性。強盗、傷害、暴行、恐喝のような暴力犯罪に限れば男性の比率は9割を超え、若いほど犯罪率は高い。これほどまでに大きな性差があれば、雇用主が若い男性の暴力性を考慮するのは当然だ。だが履歴書だけでは誰が危険なのかを判別することはできず、そのため暴力的な外見の若者が真っ先に排除されるのだ。
 これはもちろん、人相の悪い若者がすべて犯罪者だということではない。そればかりか、若者が法を犯すかどうかは容姿とほとんど関係しないというデータもある。だがこれには例外があって、「きわめて醜い」とされた一部の若者は、強盗や窃盗、暴行に手を染める可能性がとても高いのだ。
 この事実をどう解釈するかは慎重であるべきだろう。醜い若者は、雇用主の差別によって労働市場から追い出され、犯罪者の道を選ぶほかなかったのかもしれない。しかし現在では、男性ホルモンであるテストステロンが暴力性と強く相関し、なおかつその影響が外見にも表れることがわかっている。胎内で高濃度のテストステロンを浴びた男性は、思春期になるとテストステロン濃度がきわめて高くなる。そこから生じる威圧的・暴力的な雰囲気を私たちは無意識のうちに察知して強く警戒するのだ。

          『言ってはいけない ~残酷すぎる真実』 橘 玲著(新潮新書)

選択肢が多いほど幸福度は下がる

2016年5月16日

選択肢が多いというのは一見うれしいことですが、その一方で、私たちは自らくだした決定に自信のないこともままあるはず。選択肢が多すぎると、それに決めたあとでも、「もしかしたらあっちのほうがよかったのかしら」と自らの選択を悔いることにつながります。
 それは、さまざまな情報の裏付けにのっとって決断したとしても、その情報の数が多ければ多いほど、踏んぎりがつかず、私たちは優柔不断に陥るのです。
 これこそが自分にあった車だ、靴だ、生命保険だという具合に、いったいどうすれば確信の持てる決断をくだせるでしょう。
 バイキングスタイルの食事が嫌いという人もいるでしょう。どの料理がいちばん美味しいのかがわからないので、すべてを試してみたくなり、結局食事を味わうという本質的な楽しみを台無しにしてしまったりするからです。そこで、私ならホテルでの朝食は、だいたい決まったメニューで、選択肢は紅茶かコーヒーくらいにします。そのほうがよっぽど落ち着いて食べられます。
 選択肢の多いことが豊かであるというのは、嘘なのだと思います。


『シンプルだから、贅沢』ドミニック・ローホー著、原 秋子訳 引用(講談社)

 

イタリア、スペインが赤字財政で苦しむ理由は?

2016年5月 9日

中世のカトリック教会は、「蓄財は罪」を教えました。だから、お金が貯まったら教会に寄付することが奨励されていました。教会が販売する贖宥状(免罪符)というお札を購入すれば、罪をあがない、神の赦しを得ることができるというわけです。
 「金儲けは罪」「教会に寄進をすれば救われる」―――という教えでは、頑張って働いて、お金を稼ごうというモチベーションが起こりません。蓄財より消費に励み、教会にどんどん寄進するような国民性が育まれていったのです。
 現在、財政赤字に陥っている南欧諸国とアイルランドがカトリック教国であるのは、偶然ではありません。
 また、イタリアやスペインは、ギリシアと同じく冷戦中は親米軍事政権で、さまざまな支援を受けられた。つまり「甘やかされていた」ことも財政が悪化した原因のひとつといえます。

 

『ニュースの"なぜ?"は世界史に学べ ~日本人が知らない100の疑問~』より

計画は実行しながら練り直せ

2016年3月18日

計画を立てるのはとても楽しく、快感を伴う。長期の旅行の計画を立てたり、自分の気に入るような家を想像したり、成功する仕事の計画を綿密に立てたり、人生の計画を立てたり、どれもこれもわくわくするし、夢や希望に満ちた作業だ。
しかし、楽しい計画づくりだけで人生は終始するわけではない。生きていく以上は、その計画を実行しなければならないのだ。そうでなければ、誰かの計画を実行するための手伝いをさせられることになる。
そして、計画が実行される段になると、さまざまな障害、つまずき、忿懣、幻滅などが現れてくる。それらを一つずつ克服していくか、途中であきらめるしかない。
では、どうすればいいのか。実行しながら計画を練り直していけばいいのだ。こうすれば、楽しみながら計画を実現していける。

「超訳ニーチェの言葉」白取春彦訳/ディスカヴァ-・トゥエンティワン

 

すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめて居る

2016年3月 2日

すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめて居る

                     萩原朔太郎『虚妄の正義』


子供の頃から神経質で体の弱かった朔太郎は、家庭的にもあまりめぐまれていなかった。42歳で離婚した。その年彼は箴言集『虚妄の正義』を書き、その中で「一夫一婦制度は偽善であり、人生を不潔にする有毒な制度なるかな」と言っている。最近は納得のいく相手がいなければ、いわゆる適齢期を過ぎても結婚しない女性が増えている。親のすすめによる見合いで、あきらめて結婚するような人はほとんどいなくなった。しかし、すでに結婚している人は、この言葉のようにあきらめているのだろうか。

     『スピーチに役立つ名言・名句ハンドブック』PHP研究所情報開発室[編]

サービスが伝説になる時

2016年2月25日

数年前のことだ。
群馬県高崎市で行われる講演会に向かう途中、その日に着ていた「ミラショーン」のダブルスーツのボタンがなくなっていることに気づいた。
多くの聴衆の前に立つのに、よりによって一番大切な中央のボタンがないのではいかにも恰好が悪い。「ミラショーン」のボタンは独特のデザインで1つだけ代替品というわけにはいかない。
新幹線の車中からあちこち携帯電話をかけて調べてみたが、高崎市内にミラショーンの店舗は見つからない。
「困ったな。仕方ないからブレザーの上着でも買って間に合わせるか」
夜の講演会場でもあるホテルにチェックイン。荷物を置いてから駅の向いにある高島屋高崎店へと出かけた。
紳士服売り場の販売員に事情を話しながらブレザーが欲しいというと、「ちょっとお客様の上着お貸しください」と言い、それを持ってどこかへ消えてしまった。
「どうしたんだろう。ブレザーを見せて欲しいのに、お客をほったらかしにして」と私は不機嫌になった。
イライラ待つこと何と10分あまり。
「お待たせしました。ボタンを全てつけかえて参りました」
何と彼が持ち帰ってきた私のスーツは袖も含め全てのボタンが元のものとはやや異なるがミラショーンのものに付け替えられていたのだ!
私は唖然とした。
「当店はあいにくミラショーンのスーツを扱っておりませんが、イージーオーダーの売り場にミラショーンの生地がございました。そこのサンプル用のボタンに付け替えさせて頂きました」と言う。
声も出なかった私がようやく絞り出すように「おいくらですか?」と尋ねると、その販売員は「いえ、このボタンは売り物ではありませんので結構です」と答えた。

間違いなく言えることは、この店はこの日、ブレザーを一着売り逃したということである。私はブレザーを買いに行ったのだ。それなのに高島屋高崎店は無料でボタンを付け替えたのである。
私は感動した。
知人の多い高島屋本社に電話をかけこの話を伝えるとともに、その夜の講演会でこの話を披露した。
「サービスが伝説になる時」とは顧客満足度の高い百貨店として知られるアメリカの「ノードストローム」の副社長だったベッツィ・サンダーカ女史が書いた本のタイトルで、日本でもベストセラーとなった。
まさに高島屋高崎店の対応は、私という一人の顧客の信頼をつなぎとめるのに十分なもので、「サービスが伝説になる時」というに相応しい瞬間であった。

高まるために捨てる

2016年2月10日

人生はそれほど長いものではない。
夕方に死が訪れても何の不思議もない。
だから、わたしたちが何かをなすチャンスは、いつも今この瞬間にしかないのだ。
そして、その限られた時間の中で何かをなす以上、何かから離れたり、何かをきっぱりと捨てなくてはならない。
しかし、何を捨てようかと悩んだりする必要はない。懸命に行動しているうちに、不必要なものは自然と自分から離れていくからだ。
あたかも、黄色くなった葉が樹木から離れ去るかのようにだ。
そうしてわたしたちはさらに身軽になり、目指す高みへとますます近づいていくことになるのだ。

                 「超訳ニーチェの言葉」白取春彦訳

「慣れること」に慣れるな

2016年2月 8日

「慣れること」に慣れるな
要するに習慣というものは、
善くもなり、悪くもなるから、
別して注意せねばならない。
        【『渋沢栄一訓言集』座右銘と家訓】

 

※現代の言葉で言うと・・・
同じことを習慣にしていても、
それが"精進"になればいい結果につながり、
"マンネリ"になれば悪い結果しか生まない。
注意して、両者を分ける必要がある。


マンネリからは成功は生まれない。
いったん思い立って始めたことでも、しばらく経つと、初心を忘れてしまうことがありますね。
つまり慣れてしまうのです。
求めていた天職、求めていた夢の実現。
最初はそれに向けて努力を続けていたのに、いつしか気持ちが冷めていって、違うものに憧れる自分に気がついたら、それは「慣れてしまった」ということでしょう。
どんなに楽しいことでも、いつかはその楽しさに慣れます。
けれど、そのたびに次へと移ってしまっては、いつまでも本当に求めているものには届きません。
「慣れること」に慣れて、流されることのないように。
常にわくわくした新鮮な気持ちを持ちましょう。
すべての成功者は「マンネリ」と無縁です。


        『渋沢栄一100の訓言』渋澤健著/日本経済新聞出版社

「解決」ではなく「整理」から

2016年1月20日

何かを考えようとチャレンジを始めた。しかしどうしても考えが行きづまってしまうとき、どうしたらいいのか。これは皆さん悩まれるところでしょう。<考え方の教室>で学び始めた皆さんに、先んじて対処法を少しお話ししておきたいと思います。
 まず大事なのは、問題を「解決」しようとするよりもまず「整理」すること。
 問題が何なのかがわかれば、それは幽霊の正体がわかったことと同じです。「問題は、解決するものではなく整理するもの」と、まず標語のように立ててみる。
 そうすると、自分のストレスになっている複雑で重い問題と思われたものが、意外にシンプルないくつかの問題から成っていたとわかってくることがあります。それなら、問題Aに対してはこの対処法、問題Bに対してはこの対処法と、一つずつ解決していくことができますね。
 解決法や対処法というのは、整理することによって、おのずと表われてくるものです。お医者さんの診断と治療に似ています。はっきり診断がついていないうちから治療法を決めることは、どんな名医にもできません。この病気ではないかとある程度絞り込まれてきて初めて、それならばこの検査をしてみよう、検査をしてこの結果であったならばこの治療をしよう、というふうに展開していく。まずは診断をつける。これを自分が抱えている問題に対してやってみるわけです。
 <考える>という作業は、まず何よりも「モヤモヤしない」ということです。もちろんレベルが上がってくると、あえて問題を複雑化してモヤモヤさせることで、思考を発展させるというやり方もあるのですが、はじめのうちは<考える>というのは整理することなのだと捉えると、見えてきやすいのではないかと思います。そしてこの「整理」という作業においてとても有効なのが、「自分の手を動かして書いてみる」ということなのです。


                              『考え方の教室』齋藤孝著/岩波新書より

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