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教えて!ナベツネさん

2015年12月21日

どうして宅配新聞は軽減税率適用なの?
生活必需品?
食品はあんなに揉めてたのに新聞だけはあれよあれよとすんなり決まったのはなぜ?
薬やガスや電気より、最近は宅配で取る人が減っている新聞だけが生活必需品なの?
活字文化守る?
ならば電子版はなぜ適用されないの?
出版ではなく、宅配新聞だけで活字文化守れるの?
 
なぜ他の新聞はこのニュース後ろめたそうに扱いが小さいのに、なぜある大手の新聞だけが大々的に報じている?
その新聞って巨人軍とばく事件の扱いはやけに小さかったよね、なぜ?
 
 
なんか変と思うのは気のせい?
私の方がおかしいの?
 
教えて!なんでも詳しいナベツネさん!
 

2015年12月21日

私が師と仰ぐ松下幸之助さんは、次のように書いています。
「自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけ、かきわけ汗する時もある。この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる」
(「道をひらく」松下幸之助著/PHP研究所)より
 
100まで生きる人が幸せで、50までしか生きられない人が不幸と考えがちです。
しかし自分の歩んできた道はこれだ、と自信を持てる人はたとえ50までしか生きなくても天寿を全うしたと思うはずです。
坂本竜馬や吉田松陰が100まで生きていたらと考えるのは後世の人であり、ご本人たちにとってはやることをやった人生なのかもしれません。
「板垣死すとも自由は死なず」と言ってこの世を去った人もいるといいますが、ほとんどの人はダイイングメッセージなど残さぬままに死ぬはずです。
 
私はこの先何歳で死んでも悔いはなかった、いい人生であったと言えるように死にたいと思います。
死ぬことを目標に行きたい。
ちょっと変な表現かもしれませんが、あえてそう公言し毎日の生を刻んでいきたいと思います。
私しか歩めぬ道を踏みしめながら。

 

短所四分、長所六分

2015年11月 9日

私は数学や理科はまったくだめ、字を書かかせれば下手だし、まして絵なんて・・・・。
でも小学校の頃から勉強しなくても社会科はいつも満点でしたし、作文はコンクールで優勝していました。
今の職業はまさに天職でした。
敬愛する松下幸之助の言葉です。
 
 
人間にはもって生まれた性格があり、持って生まれた才能がある。字を書かせれば抜群なのに、計算が弱い、喋らせると鬼もだまるような口上手なのに、音痴で全然歌えない、といった具合に長所と短所がある。性格もそれと同じで、優しいところがあるのに頑固だとか、逞しいのに気が小さいとかいうように、全部がいいところばかりでもなければ、悪いところばかりでもない。その辺をよく見て、それぞれの長所を生かして、無理のないように仕事をさせるのが上司の役目である。

                          『スピーチに役立つ名言・名句ハンドブック』(PHP研究所)より

勤勉の徳

2015年10月13日

私の知人で、汗を流すことが大嫌い。
だからスポーツなんて大嫌い。
努力は大嫌い、ちゃらんぽらんが美徳。
努力しているやつを見るのは嫌い、汗を流すなんて見るのもいや。
こんな哲学の男がいました。
 
飽きれるほど徹底しています。
この男は他人を利用するのは大好き。他人が努力した結果の金や人脈をもらうのは大好きなのです。まあはっきり言ってやくざ者です。
死ななきゃ治らないという類いです。
他人を口八丁でだますのが取り柄。こういう男は女性にはあきれるほどモテました。
口先男で楽しいからでしょう。
でも、だんだんみな、性根がわかってくるから本当の友人はできません。
 
他山の石にすべきです。
私が、敬愛する松下幸之助、この男は大嫌いでした。努力する人間は見るのもいや、が口癖でしたから。
 
その松下幸之助はこう言います。
 
天災地変をまつまでもなく、粒々辛苦の巨万の富も、事あらば一朝にして失われてしまうことがしばしばある。形あるものはいつかは滅びるにしても、まことにはかない姿であるといえよう。
だがしかし、身についた技とか習性とかは、これは生あるかぎり失われはしない。たよりになるのは、やはり自分の身についた技、身についた習性。
だから、何か一つでもいいから。よき技、よき習性を身につけたいものであるが、なかでもいわゆる勤勉の習性は、何にもまして尊いものに思われる。
勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間のいわば一つの大事な徳である。徳であるかぎり、これを積むには不断の努力がいる。
相撲に強くなるためには、不断に真剣なけいこを積まねばならないように、勤勉の習性を身につけるためには、まず日々を勤勉につとめる努力がいるのである。その努力が重なって勤勉の習性が身につき、その習性からはじめて徳が生まれてくる。
おたがいに勤勉の徳を積みたいものである。

 

 

自分の非

2015年10月 5日

売れないのは天気のせい、ライバル店のせい、政府のせい
要するに俺は悪くない。
 
言い訳だけで生きている人、たくさんいます。
 
もう一度言います。
 
たくさんいます。
 
悪いのは私なんです。そう思わないと対策考えませんよね。
 

敬愛する松下幸之助はこう言います。
 
人間は神さまではないのだから、一点非のうちどころのない振舞などとうてい望めないことで、ときにあやまち、ときに失敗する。それはそれでいいのだが、大切なことは、いついかなるときでも、その自分の非を素直に自覚し、これにいつでも殉ずるだけの、強い覚悟を持っているということである。
昔の武士がいさぎよかったというのも、自分の非をいたずらに抗弁することもなく、非を非として認め、素直にわが身の出処進退をはかったからで、ここに、修行のできた一人前の人間としての立派さが、うかがえるのである。
むつかしいといえばむつかしいことかもしれないが、それにしても、近ごろの人間はあまりにも脆すぎる。修練が足りないというのか、躾ができていないというのか、素直に自分の非を認めないどころか、逆に何かと抗弁をしたがる。そして出処進退を誤り、身のおきどころを失う。とどのつまりが自暴自棄になって、自分も傷つき他人も傷つけることになる。これでは繁栄も平和も幸福も望めるはずがない。
自分の非を素直に認め、いつでもこれに殉ずる――この心がまえを、つねひごろからおたがいに充分に養っておきたいものである。
                                                                    『道をひらく』 松下幸之助 著(PHP)

 

学ぶ心

2015年9月 8日

いくつになっても向上心、好奇心、探求心をもち続けていることこそ認知症の予防にもなり、生きがいを実感できることだと思います。
経営者が比較的ボケないのはまさにこれだと思います。仕事のため常にアンテナを張り巡らしているからこそ、かなり高齢でも現役社長が務まります。
内臓の病気は仕方ありませんが、それさえなければ80でも90でも社長でいられる、それは絶えず変化する時流に関心を持ち続けるからでしょう。
すべてからその気さえあれば学べるのです。
 
敬愛する松下幸之助の文章を紹介します。
 
自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生みだしたと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。
教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。そうした今までの数多くの学びの上に立ってこその自分の考えなのである。自分の知恵なのである。だから、よき考え、よき知恵を生み出す人は、同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩のきびしい叱責、後輩の純情な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。 
                                                                『道をひらく』 松下 幸之助 著(PHP)

わが身につながる

2015年9月 1日

景気が悪いんだよね、近くにライバル店ができちゃってさ、天気が最悪だよ・・・
そうです、うちの商売が立ち行かないのは、他人のせい。
あなたが悪いんじゃありません。
みんな自分が悪いとは言わないものです。
しかしそれで解決しますか?
だいたい自分が悪いと思うから改善策も考えるのです。
他人のせいにしている限り、進歩はありませんよね。
私が敬愛する松下幸之助の文章を引用しましょう。
 
 
何でもかんでも、わるいことはすべて他人のせいにしてしまったら、これほど気楽なことはないだろう。すべて責任は相手にあり、都合のわるいことは知らぬ存ぜぬである。
だがしかし、みんながみんなこんな態度で、責任の押しつけ合いをしていたならば、この世の中、はたしてどうなることか。
理屈はどうにでもたてられる。責任をのがれる理屈は無数にあろう。また法律上は、無関係、責任なしということもあり得ることである。しかしこれは理屈や法律だけのこと。人と人とが相寄って暮らしているこの世の中、どんなことに対しても、自分は全く無関係、自分は全く無責任――そんなことはあり得ない。一見何の関係もなさそうなことでも、まわりまわってわが身につながる。つながるかぎり、それぞれに深い自己反省と強い責任感が生まれなければならないであろう。
すべてを他人のせいにしてしまいたいのは、人情の常ではあろうけれども、それは実は勇気なき姿である。心弱き姿である。そんな人びとばかりの社会には、自他ともの真の繁栄も真の平和も生まれない。おたがいに一人前の社会人として、責任を知る深い反省心と大きな勇気を持ちたい。
                                                 『道をひらく』 松下 幸之助 著(PHP)

 

「地域ブランドサミット」南砺市で開かれました

2015年8月24日

全国16の地方自治体で組織する「地域ブランドサミット」が、富山県南砺市で開かれました。
今年で5回目を迎える「地域ブランドサミット」は、地場産品の販路の拡大などを自治体が協力して行おうというもので、加盟自治体から地場産品の販売ブースも設けられました。
会場となった富山県南砺市は、富山県西部にあり広域合併で生まれた市で、世界遺産五箇山の合掌つくりでも知られています。
今回のブランドサミットは、井波地区にある名刹「瑞巌寺」の大師堂で行われました。
まず、「GS世代研究会」西村晃座長が、「地域ブランドの確立による地域経済の活性化」と題して基調講演を行いました。この中で「地方ブランドとは我々の日常生活そのもの。何も気負うことなく地元の衣食住を商品化し、日本はもとより世界に打って出よう、と呼びかけました。
この中で西村座長は「明らかに時代の潮流がアメリカ的大量生産、東京的画一文化にあこがれる時代から、ふるさと産品、手作り職人芸、数は少なくてもこだわったものを大切に思う価値観を尊ぶ時代へと変容している。胸を張って地方の商品を売る時代が来た」と規定し、「そのことを外国人観光客も魅力に感じている」と論じました。

これを受けてパネルディスカッションが行われました。
富山県高岡市にある鋳造メーカー高田製作所の高田晃一さんは、
「この20年でわが社の平均年齢は25歳以上若返っている。若者がものつくりに帰ってきている。デザイン性ある時計などの商品に海外から注文が来ている」と話しました。
また16代目という城端蒔絵職人小原好喬さんは、
「伝統を引き継いでゆくことに誇りを感じている。新しいデザイン性ある商品を世界に向けて発信していきたい」と語りました。
ワインのソムリエで全国の地域おこしに通じている高野豊さんは、
「世界的なワイナリーから日本に研修が来るなど、世界の潮流が日本の食の分野にも向かっている。文化発信のチャンスだ」とエールを送りました。

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パネルディスカッションのメンバー


 
シンポジウムでは、このあと俳優で画家の片岡鶴太郎さんが登場、井波彫刻士が彫った龍の作品に色付けをするパフォーマンスを行い、龍に目が入ると太子堂を埋め尽くした聴衆から大きな拍手が沸き起こりました。
 

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色付けに取り組んだ片岡鶴太郎さん

 

こわさを知る

2015年8月24日

何か怖いものありますか?
地震、火事、雷そして今は火山でしょうか。
人間に悩みがなければどんなにいいだろうかと思う反面
それでは何も進歩はないのではとも考えます。
怖さや悩みがあるからこそ
そこに工夫の余地が生まれてくる
怖いものがあるからいいんだ、という松下幸之助の教えです。
 
こどもは親がこわい。店員は主人がこわい。社員は社長がこわい。社長は世間がこわい。
また、神がこわい。仏がこわい。人によっていろいろある。
こわいものがあるということは、ありがたいことである。これがあればこそ、
かろうじて自分の身も保てるのである。
自分の身体は自分のものであるし、自分の心も自分のものである。
だから、自分で自分を御すことは、そうむつかしいことでもないようにおもわれるのに、それが馬や牛を御すようには、なかなかうまくゆかないのが人間というもので、古の賢人も、そのむつかしさには長嘆息の体である。
ましてわれわれ凡人にとっては、これは難事中の難事ともいうべきであろう。
せめて何かのこわいものによって、これを恐れ、これにしかられながら、自分で自分を律することを心がけたい。
こわいもの知らずということほど危険なことはない。
時には、なければよいと思うようなこわいものにも、見方によっては、やはり一利があり一得があるのである。
                    『道をひらく』 松下 幸之助 著(PHP)
 
 
自他ともに認めるエリートで怖いもの知らずという人ほどひとたび窮地に追い込まれるともろさを露呈してしまう例をたくさん見てきました。
怖いものだらけという状況なら、よかったと思うべきでしょう。

 

あぶない話

2015年8月18日

好事魔多し、
いいことばかり起こればいいがそんなはずがない。
驕る平家は久しからず、やはり因果応報は巡るものです。
勝って兜の緒を締めなければなりませんが、
そこが人間の愚かさで、勝てば傲慢になりついつい足元を見失いがち。
敬愛する松下幸之助はこう述べています。
 
失敗するよりも成功したほうがよい。これはあたりまえの話。だが、三べん事を画して、三べんとも成功したら、これはちょっと危険である。そこからその人に自信が生まれ確信が生じて、それがやがては「俺にまかせておけ」と胸をたたくようになったら、もう手のつけようがない。謙虚さがなくなって他人の意見も耳に入らぬ。こんな危険なことはない。
もちろん自信は必要である。自信がなくて事を画するようなら、はじめからやらないほうがよい。しかしこの自信も、みな一応のもので、絶対のものではない。世の中に絶対の確信なんぞ、ありうるはずがないし、持ちうるはずもない。みな一応のものである。みな仮のものである。これさえ忘れなければ、いつも謙虚さが失われないし、人の意見も素直に聞ける。だが、人間というものは、なかなかそうはゆかない。ちょっとの成功にも、たやすく絶対の確信を持ちたがる。
だから、どんなえらい人でも、三度に一度は失敗したほうが身のためになりそうである。そしてその失敗を、謙虚さに生まれかわらせたほうが、人間が伸びる。
失敗の連続もかなわないが、成功の連続もあぶない話である。
                                                  『道をひらく』 松下 幸之助 より

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