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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第13回 4月 「鞆の浦に立ち寄る旅」

出張はサラリーマンの社会科見学、というのが私の持論だ。
会議や商談だけですぐにとんぼ返りするのではなく、ついでを利用して貪欲に好奇心を満たしておけば、人生の蓄積になる。
テレビや新聞などで興味を持った名所・旧跡やレストラン、ホテルなどをそのつど「ポスト・イット」に書き、手帳に「行きたいところリスト」というページをつくり貼っておく。
出張が決まったら、当該地域の「ポスト・イット」を取り出し、仕事の前後の予定に組み込む。
今回果たせなければまた次回のチャンスまで温める。
何年もリストで待機した「ポスト・イット」がついに日の目を見るということも多い。

「鞆の浦」もそんな一つ。
新幹線福山駅前からバスで30分ほど。
広島への出張の際ついに訪問した。
瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦は潮の流れを利用して航行する船の「潮待ちの港」として万葉の昔から栄えた。
1672年河村瑞賢が西回り航路を整備すると、北前船など多くの商船が出入りするようになる。
港を囲むように建ち並ぶ商家と浜蔵はいま多くの観光客が訪れる。

中心は、「太田家住宅」。
ここは参勤交代の西国大名などの宿所に使われたところで、特産の保命酒の酒蔵でもあった。
保命酒とは、もち米を主原料に粳米、焼酎、16種類の漢方薬を使って醸造した薬酒で江戸時代初期にこの家の主人中村吉平衛が藩に願い出て製造を始め、今日でも鞆の浦の名産品として受け継がれている。
江戸時代には頼山陽やたびたび訪れた朝鮮通信使、そして三条実美も愛飲したという。


太田家住宅

太田家住宅 (2)

尊王攘夷派の三条実美は文久3年(1863年)8月18日の政変後、20数隻に乗った400人とともに、嵐の中鞆の浦に錨をおろす。
翌年鞆の浦に再来、保命酒を飲んでしばしくつろいだ後、京を目指すが、その時蛤御門の変の知らせが入り、再び鞆の浦に集結、長州へと引き上げてゆく。
のどかに見えるこの港町にも歴史の波が押し寄せた。

幕末と言えばもうひとり、坂本龍馬も忘れられない。
坂本龍馬と海援隊を乗せた蒸気帆船「いろは丸」は慶応3年(1867年)鞆の浦の沖合で紀州藩の明光丸に衝突され沈没する。
歴史文献をもとに地元の町おこしグループが引き上げた遺物などが展示されているのが太田家住宅の近くにある「いろは丸展示館」だ。
ここでは海援隊が宿泊していた升屋清右衛門宅の天井裏にあった龍馬の隠れ部屋も再現されている。


いろは丸展示館前はいつも観光客で賑わう

再現された龍馬隠れ部屋

鞆の浦のシンボルである常夜燈の近くに江戸時代から残る大蔵を活かして作られている展示館は、建物そのものに重厚感があり、見ごたえがある。
歴史的景観が映画のセットのような魅力を放つ鞆の浦、おだやかな陽光のもとで歩きたい。


鞆の浦のシンボル常夜燈



いまもあちこちで保命酒が売られる