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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第16回 7月 「清澄、門前仲町、・・下町紀行」

「東京スカイツリー」が起こした下町ブームに沸く隅田川周辺を今日も歩く。
起点は「清澄白河」、半蔵門線と大江戸線が交差し、一躍知られるようになった駅だ。
地上に出るとすぐ「清澄庭園」がある。


清澄庭園

かつて豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったといわれる。
その後明治になって岩崎弥太郎が買い取り、三菱社員の慰安と賓客接待を目的とした庭園にしようとした。
継いだ岩崎弥之助は庭園に隅田川の水を引き込むなど大きく手を加え完成させた。

関東大震災で庭園は大きな被害を受けたが、近隣住民の避難場所となり多くの人命が救われた。
その後東京市に公園用地として寄贈、清澄庭園となる。
8万平米のゆったりとした敷地にふんだんの樹木と大きな池、そして海運業岩崎が全国から集めた奇岩の数々、都会の喧騒をひととき忘れる別世界だ。


各地から集められた奇岩が並ぶ

清澄通りを歩くと仙台堀川にかかる海辺橋、渡るとすぐ右手に旅の身支度を整えた芭蕉の像がある。
芭蕉はここにあった弟子の鯉屋杉風の採荼庵(さいとあん)から奥の細道へと出立した。
通りをさらにすすむと「深川のえんま様」で知られる法乗院がある。
高さ3.5メートルの「ハイテクえんま様」の前にある19の願いに分かれた賽銭箱に賽銭を納めると説法が流れる。


採荼庵前で身支度する芭蕉像

高速道路をくぐるともう門前仲町だ。
江戸時代隅田川河口にあった永代島という中洲を埋め立てて陸続きにした功績で長盛上人が寺社建立を許されたのが永代寺、その境内に鎮座した富岡八幡宮は深川八幡とも言われ、その祭礼は江戸三大祭のひとつとなる。
あまりの見物客から1807年永代橋が重みに耐えかねて落下、多数の死傷者が出た。
境内では相撲興業も行われ、歴代横綱の石碑などが今も残る。


富岡八幡宮

境内にある横綱力士碑

また成田山の本尊、不動明王が永代寺に出張して江戸の人々に参詣してもらう出開帳(でかいちょう)が企画されて大成功を収め信者を増やした。

門前町は歓楽街として賑わい、その芸者衆は江戸城から南東(辰巳)の方角に位置することから辰巳芸者と呼ばれた。
いまも駅の近くの酒場小路は辰巳新道と呼ばれる。
この深川界隈から旅立ったのは芭蕉だけではない。
日本の測量の父と言われる伊能忠敬は門前仲町の住人で、測量旅行の際には八幡宮に安全祈願をしたということから、近年境内に像が建てられた。

その像のすぐわきには、地元の名物深川めしの専門店「深川宿」がある。
アサリのすまし汁を米飯にかけたもので、短気な江戸っ子でもすぐに食事ができることから広まった。
深川めしを食べて江戸を立った旅人に思いを馳せながら味わいたい。


深川めしの定食は人気