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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第32回 5月 挑戦 3000キロ!西日本走破の旅(前半)

東京から四国を経由して11日間で九州最南端を回って帰ってくるドライブ旅行を企画した。
長旅だ。
無謀だ、何歳だと思っているんだ、などという外野(?)の心配をよそに
2月下旬、出発した。

★1日目
東京から中央高速に乗る。
熟年一人旅はとにかく無理をしない、疲れたら休む、が基本だ。
休憩も頻繁に取り、変貌著しいサービスエリアなども見学するのも目的である。
本日も談合坂、八ヶ岳、恵那峡、中津川などで休憩する予定だ。
朝の渋滞を心配したので早めに出発し、ほっとした気分で入るのが最初のサービスエリアだ。
談合坂の「談」の字の印を押したクリーム入りあんパンで朝食。
往路に中央道を選んだのは帰りが東名になる見込みだから、八ヶ岳などの山々を見ておきたいと考えたからだ。
時間を気にしない旅ではこんな贅沢ができる。

八ヶ岳パーキングエリアにも立ち寄り、南アルプスと八ヶ岳の写真を撮る。
駒ヶ岳パーキングエリアで「そばシュークリーム」とカツサンドを買い、恵那峡サービスエリアでカツサンドを食べた。
今や駅弁よりサービスエリアでご当地のものを買って食べるほうが楽しみも広がる時代だ。
かつて鉄道で日本全線走破した私でさえ、新幹線中心になった今の日本の鉄道には、もう魅力を感じなくなっている。


南アルプス

13時半、彦根インターチェンジで降り、最初の訪問地に選んだ彦根城に向かう。
東京の梅は盛りを過ぎたが、梅園に寄るもまだ堅いつぼみ。
このあたりの冷え込みは厳しい。
まだ伊吹山は雪景色だ

彦根城は徳川家康の命により佐和山城を一掃するため、井伊家が20年をかけて築城した。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築した。
この間井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継いで夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげた。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献した。
近世の城で天守が残っているのは12城あるが、このうち松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城の天守は国宝である。


彦根城

一般道を走り多賀大社へと向かう。
ここのご祭神は伊耶那岐大神(イザナギノオオカミ)、伊耶那美大神(イザナミノオオカミ)。
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社である。
「古事記」によるとこの二柱の大神は神代の昔に初めて夫婦となり日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々を産んだ。
生命(いのち)の神様として信仰を集め、多賀大社の分祀社は全国239社を数える。
実際に来てみれば由緒正しい立派な神社だが、かといってわざわざ東京からここを目指してくるかと言えばこれまで難しかった。
60歳からの旅はこうした「旅の穴」を埋めてゆく意味がある。


多賀大社

参拝を終え、アウトレットが近くにできた竜王ICから名神高速に入る。
神戸で高速を降り、港町の夜景を見ながらフミリーレストランで食事、宿泊先の明石大橋のたもと「シーサイドホテル舞子ビラ神戸」に到着。
部屋の窓から見える雄大な大橋の夜景に感動しつつ就寝。


明石海峡大橋


★2日目
6時に起床、ラジオ体操して原稿を書き朝食、と旅に出ても毎日のスタイルを変えないことを主義にしている。
窓の外の大橋の雄大さ、見事である。
ビュッフェのメニューに淡路島の玉ねぎ、鳴門のワカメ、明石のタコカレーなどが並ぶ。
旅の気分を味わうことができる。

ホテルをチェックアウトし、垂水ICから明石海峡大橋をへて淡路島に入る。
淡路サービスエリアで一度停車、明石側の振り返りの眺望を臨む。
橋の開通と自動車専用道のお陰で、あっという間に四国に入ることができるようになった。
徳島県に入ると一度専用道を出て、南あわじ市「うずの丘大鳴門橋記念館」に立ち寄った。
ここから眼下に見下ろす鳴門橋は美しい。


手前淡路島 大鳴門橋の向こうは 四国

道の駅でもあるこの施設は土産物売り場も充実していた。
ここで「タマネギキャッチャー」というゲーム機を発見。
また、屋外には巨大な"おっ玉葱"というオブジェも鎮座、記念撮影スポットになっていた。
ネットに入った玉葱、玉葱ドレッシング、玉葱チップスなどを購入した。
クルマの旅行はなんといっても荷物の心配がいらない。
道の駅やサービスエリアに着くたびについつい買い物をしてしまう。

大鳴門橋を渡り四国に入る。
四国は以前は高速道路の整備が遅れていて交通不便だったが、瀬戸内3橋の整備が進み、四国内の道路の整備も一気に進んだ。
今日の最初の目的地高松までもここから1時間くらいで行かれる。
高松道途中にあるビュースポット「津田の松原サービスエリア」で、おきまりのうどんとじゃこ天、小魚の天ぷらのランチをとる。
讃岐に入ればやはりうどんだろう。

余裕をもって高松着。
今回の旅ではここ高松市と、佐賀市、熊本県の菊池市で仕事がある。
3か所の仕事はまったくべつもので本来は東京から現地へそれぞれ3往復しなければならないものである。
しかしそこは自営業の私の強みで、3か所をクルマで一回で巡る旅にできるように日程調整をしたのだ。
本日午後は高松市の企業の社長と対談、写真撮影もして雑誌の記事にまとめるという仕事を入れてある。
自ら食べたうどんと地元の名所である屋島を撮影、雑誌用の写真としたうえで、約束の場所に時刻通りに出向くことができた。
取材後、東京から車で来てこれから九州を回ると、取材相手に話すととても驚いていた。

高松市と丸亀市で仕事を終え、日が暮れてから本日の宿、今治国際ホテルへ移動する。
このホテルは何度か利用しているが、静かな小さな地方都市にこんな立派なホテルがそびえているのが不思議なくらいだ。
地元企業今治造船がオーナーだからこそ成り立つシティホテルで、ロビーにはたくさんの船の模型などが飾られている。
長い旅行の第二泊に、もう一度泊まってみたいホテルとしてここをチョイスした。


今治国際ホテル

★3日目
朝食後、ホテル周辺を散策した。
市役所の近くという中心部は、古い店が軒並み朽ち果てていて、ここでも中心市街地の衰退は目を覆うばかりだ。
地方都市をくまなく見てきたが、県のナンバーワン都市であることが多い県庁所在地と比べて、二番目以下の寂れ方が特にひどいと感じる。
県庁所在地は、地方では所得が多い公務員が多いこと、東京霞が関とつながり公共事業が持ち込まれるから地方経済に担い手である建設業が多く立地していることも見逃せない。
さらに地方で二番目以降の都市は、ここ愛媛県今治市のように企業城下町、それも製造業の街として発展してきたケースが多いが、空洞化や産業構造の変化により人口減少が加速している。

8時40分にホテルを出て今治インターチェンジからしまなみ海道へと入る。
来島ドックや今治造船のクレーンを眼下に見て、橋を渡る。
大三島の、道の駅「多々羅しまなみ公園」で車を停め多々羅大橋を写真撮影。
そして大山祇神社へと向かう。

大山祇神社は大山積神を祭神とする全国の山祇神社、三島神社の総本社だ。
日本総鎮守と呼ばれる日本の守護神でもある。
神武天皇御東征にさきがけて、大山積大神の子孫小千命が先駆者として伊予二名国(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衡であるこの島を神地と定め鎮祭したことにはじまると伝えられる。


大山祇神社

参拝の後、多々羅大橋を渡って生口島へ。
ここでランチ。名物のタコ定食を食べる。
しかし地元のタコを出すのが不漁で大変と食堂の女将はこぼしていた。

食後「耕山寺」へ。
浄土真宗本願寺派の寺院だが、実業家が親の供養のために建立し、テーマパークのようなしつらえで、ここを好き嫌いという人ははっきりしていると思う。
寺とは言いながら、入場料1500円をはらって華美な建築物を拝観する。
敷地奥には「未来心の丘」と名付けた大理石の庭園もある。


耕三寺

普通の寺の感覚ではない。
大阪で大口径特殊鋼管の製造会社を営んでいた技術者で実業家の、耕三寺(耕三寺は寺院ではなく人の苗字)耕三が母親の死後、母への報恩感謝の意を込めて、自ら僧籍に入り菩提寺として建立した「寺」。
堂塔の内の15棟は「国登録有形文化財」の指定を受けている。
「未来心の丘」は 彫刻家杭谷一東(くえたにいっとう)の作品で、広大な白い大理石の庭園。使用されている大理石はイタリア・カッラーラで採掘し、コンテナ船で運んできたという。
庭園にはカフェもある。


耕三寺の大理石庭園

不思議な「寺」のお向かいに「平山郁夫美術館」がある。
この生口島で平山画伯は生まれた。
ここには子供のころからの作品が展示されているが、やはり神童という言葉がふさわしいほど、幼少時代からの技量が秀でていたのが分かる。


平山郁夫美術館

生口島の観光を終えると、本日はここから大移動を開始して、一気に佐賀県の鳥栖市まで行く計画だ。
因島大島を渡り、しまなみ海道に別れを告げ福山西インターチェンジから山陽自動車道に入る。
途中宮島サービスエリアで瀬戸内、厳島、江田島などの風景を楽しむ。
このサービスエリアには宮島の朱塗りをイメージした鳥居を作るなど、立ち寄った人を楽しませる工夫を感じた。
フード―コートで名物お好み焼きも楽しめ、あらたな旅の楽しみ方を教えてくれた。


宮島サービスエリア

途中福岡県の古賀サービスエリアで夕食後、8時半に「ルートイン鳥栖駅前」に着く。
「ルートインホテル」を利用することにしたのも、このホテルチェーンが他社とは違いクルマでの利用者を想定しているからだった。
これまでのビジネスホテルは駅前や空港近くという立地が便利という戦略だった。
それに対してもともと地方から始まった「ルートイン」は、商用で車を利用する人も多いという前提のもと、その多くがインターチェンジ近くに立地している。
たまたま今夜泊まる「ルートイン」は、鹿児島本線の鳥栖駅前に立地しているが、鳥栖インターチェンジから近く、しかも原則駐車場料金無料というのが嬉しかった。
温泉大浴場があり、朝食バイキングも宿泊料金に含まれているなど利用者本位のサービスは評価できる。


★4日目
鳥栖を出て、吉野ヶ里へと向かう。
広大な発掘現場は国営公園として整備されている。
大陸からの伝来文化がいかに古代のクニ造りにかかわってきたか、遺跡と復元家屋を回りながら理解できる公園だ。
支配者の居住空間がどのようなものだったか、神聖な場所で祖先の祭祀がどのように行われていたかなどが理解できる。
なかでもハイライトは「北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)」だ。
保存のため本物の墓を建物内に格納している。
14基の甕棺と出土品を生々しい状態で間近に見ることができる。


吉野ヶ里公園

吉野ヶ里町と神埼市にまたがる丘陵地帯に広がる「吉野ヶ里遺跡」は日本最大級の環壕集落跡で、紀元前4世紀頃から約700年間続いた弥生時代すべての時期の遺構や遺物が発見されている。
吉野ヶ里遺跡が邪馬台国であると証明されたわけではないが、楼観(物見やぐら)や集落を巡る城柵など、『魏志倭人伝』に記された卑弥呼の集落と類似した遺構が次々と発見された。
弥生時代の文化を伝える重要な遺跡として、平成3年(1991)に国の特別史跡にも指定。
翌年には、国営の歴史公園として整備されることが決定した。

ヒバリが舞う早春の広大な公園内を歩くと、この地を歩いていた古代の人たちと本当にすれ違うような気がしてくる。
吉野ヶ里は前にも来たことがあったが、この交通不便なところをゆったり見るにはやはり九州までクルマで来たお陰だと感じた。

吉野ヶ里から佐賀市まではクルマで30分ほど。
今回の旅行の中で2番目の仕事はこの日の午後、佐賀で開催している自社セミナーの催行であった。
開始時刻に余裕をもって予定通り佐賀までたどり着いたわけだ。
4時間の講義を終えて、夕方5時再びクルマに乗り込む。

今夜の宿は熊本。
久留米まで一般道、その後九州自動車道でおよそ2時間、熊本に着いた。
ホテルに荷物を置いて、歓楽街である下通筋に出る。
週末ということも会って酔い客でごった返していた。
「肥後味 とっぺんさき」という小料理屋に入り、焼酎と野菜サラダ、辛子レンコン、地鶏の塩焼き、山芋の梅揚げなどを頼む。
辛子レンコンとさつま揚げが美味しかった。
一時間ほどで引き上げると、疲れですぐに寝てしまった。


★5日目
熊本名物だご汁の朝食後、まず訪ねたのは熊本城。
地震で大きく崩れた後修復工事が始まっているが、完全復元まで相当時間がかかりそうだ。
クルマなので、繁華街側からではなく裏手からまわりこんでみると、かなり天守閣近くまで接近することができた。
無残に崩れ落ちている姿はまるで空襲を受けたような印象だった。


熊本城

熊本からクルマで1時間、菊池市に向かう。
今回のツアーで高松、佐賀に続きこの菊池で最後の仕事を行う。
明日以降は本当に自由な旅になる。

熊的県菊池市は、全国の菊池さんという名前の人たちのルーツの地だという。
菊池とはもともと人物名、肥後国菊池郷の豪族で元寇などでも活躍した。
南北朝時代の一時期には九州を平定、菊池市隈府(わいふ)は肥後・筑後の都として繁栄をきわめ、文化の中心となった。
菊池神社は代々菊池家当主が祀られる。
主祭神の武時は第12代、武重は第13代、武光は第15代だ。
菊池は今では温泉地としても名高い。

昭和29年に湧出した比較的新しい温泉。
泉質は弱アルカリ単純泉。美容、神経痛、リウマチに効果がある。
別名「乙女の肌」といわれ入浴後は肌がすべすべになるそうだ。
仕事を終えて、地元で有名な直営養鶏場と卵料理レストランで知られる「コッコファーム」へ。
ふわふわオムライスは触感が口中に優しく広がる。
また卵入りソフトクリームも他では味わえないおいしさだ。

食事後一路鹿児島へ向かう。
途中震災復旧工事中の場所もあったが、渋滞はなくおよそ3時間で鹿児島へ。
鹿児島北インターチェンジを降りるとそのまま城山展望台に向かう。

城山は市街地の中心部に位置する標高107メートルの小高い山で、クスの大木やシダ・サンゴ樹など600種以上の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然の宝庫だ。
西南戦争の最後の激戦地として名高い。
明治10(1877)年2月、鹿児島城下を出発した西郷軍は、九州各地で転戦したのち、8月に解散。
その後西郷隆盛たちは九州の山間地を越えて鹿児島にもどり城山に立て籠もる。
明治10(1877)年9月24日未明、城山を包囲した政府軍は一斉に砲撃を開始し、薩軍は、敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗をするも、西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、城山から少し離れた地で別府晋介の介錯によって最後を遂げた。

鹿児島市中心部天文館の 「リッチモンドホテル」にチェックイン。
ラーメン店こむらさきに向かう。
鹿児島黒豚チャーシュー入りラーメンを食べる。
宮崎に勤務していた頃、わざわざ食べに来たくらい有名な店だったが、店の雰囲気も味も変わっていて、少しがっかりした。
天文館の商店街を歩くも、疲れを感じ早めに部屋に戻り寝てしまった。


★6日目
ホテルチェックアウト後、知覧を目指す。
途中「シーサイド ひらかわ 海の駅」から、春がすみの桜島を臨む。

1時間で知覧武家屋敷到着。
知覧は「薩摩の小京都」といわれ、生け垣と石垣が美しい武家屋敷が今も残っている。
武家屋敷群の18.6 ha が昭和56年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、7庭園は国の「名勝」にも指定されている。
他の地域の武家屋敷の石垣は野石乱積みが多いが知覧の石垣はきれいな切石整層積みが中心で、石垣の上の見事な生け垣と共に清潔感あふれる風景をつくっている。
静かで整然とした武家屋敷界隈は散歩にもってこいだった。

武家屋敷からほどなく特攻平和会館に移動する。
特攻隊員の遺品を多く展示、九州の南の端に位置するが、観光客はかなり多く、皆真剣に展示に見いっていた。

知覧を出て、吹上浜から坊津方面へ。
その途中で大きな商業施設を偶然発見。
川辺町にある「AZスーパーセンター」である。
鹿児島で今や複数店展開していることは知っていたが、偶然出会えるとは幸運だった。
AからZまで文字通り何でも揃うという幅広い品ぞろえを売り物にしたディスカウンターだ。
倉庫を思わせる巨大な空間に食品から衣料品、レジャー用品から仏壇まで本当に何でもある。


AZスーパーセンター

例えば醤油の売り場。
南九州は甘い醤油がもともと多い土地柄だが、北海道から九州までの銘柄庭得て、樽に入っているような業務用から、弁当用のミニサイズまで容器の幅も豊富な品揃え場である。
都会の大きなスーパーでもまねができないし、まして売れ筋一種類しか置いてないコンビニとも明らかに考え方が違う。
まさにAからZまでの品ぞろえなのだ。

また、別の配慮も見られる。
衣料品売り場では、同じ入り柄のものはほとんどない。
狭い地域でほとんどの人がここに買いに来るのだ。
PTAの会合にお母さんたちが行ってみたらみな同じ服を着てきた・・・。
これでは洒落にならないだろう。
過疎地域なりの工夫が必要だ。

またフードコートがあり、行ってみると事務所のお年寄りが孫などと連れ立って食事に来ていた。
定食にうどん、カレーといったメニューが中心だが、座敷席もあり宴会もできますと貼り紙がある。
なるほど食堂もAからZまでの対応である。

実はかつてこの経営者に話を聞いたことがある。
「圧倒的な品揃えはアメリカの郊外にある巨大スーパーセンターを研究して考えた結果です。
24時間営業でこの品揃えだと、たとえ100キロ離れたところからでも仕入れに来るんです。
実際小料理屋などの家族経営だと、店を閉めてから夜中に仕入れたいというケースが多いんです。
夜中に『今から行くから蛸10匹用意しておいてくれ』
などという電話もかかるんです」

AZセンターの売れ筋商品は実はクルマだ。
普通クルマというのはメーカー系列自動車ディーラーが販売する。
しかしここではあるメーカーのクルマだけを売るという発想はないようだ。
「軽」に絞り込み、その代わりメーカー横断で扱っているのだ。
「地方都市では軽自動車は下駄の様な存在、靴やサンダルを売っているんだからその延長で軽自動車を売ろうと考えましました」
と説明されたのが印象的だった。
ガソリンからタイヤ、車検、中古車まで。
なるほどここでもAからZだった。

フードコートで田舎定食という煮物中心のランチをたべて出発。
一時間ほどで吹上浜海浜公園に到着。
南さつま市万之瀬川河口周辺の約110haの区域に「自然と共に呼吸する人間性の回復の場の創造」を基本テーマに建設された巨大海浜公園、吹上砂丘は日本三大砂丘の一つに数えられる。
ただあまりにも広くクルマを停めた駐車場から海岸まで歩いて相当遠いことが判明、散歩は取りやめすぐに出発することにした。
何しろ今日はこの先が長いのだ。

およそ30分で坊津へ。
黒潮が岸辺を洗う坊津町は、むかし唐の港と呼ばれ貿易港として栄えた。
伊勢の安濃津、筑前の博多津とともに日本三津とうたわれるほどの港だった。
海に迫る山岳が多く、52kmにも及ぶ起伏の多い海岸線は、リアス式美観がひらけ、まるで唐画をみるように松の緑がしたたり、風変わりな岩礁が点在しています。
秋目浦を見渡すようにたっている鑑真記念館は、日本文化に大感化をなした唐の高僧鑑真大和上の坊津上陸を記念して建てられた。
坊津から国道を走るコースは、太平洋を眼下に見る素晴らしい光景だ。
降り注ぐ太陽の光を受けて大海原がキラキラと輝いている。
南国の産みはどこまでも陽気だ。
しばらく走ると前方にまるで富士山を思わすきれいな稜線の山が見えてくる。
薩摩富士と言われる開聞岳だ。
沿道に咲き乱れる菜の花の向うに臨む開聞岳は何処までも優しく、まるで巨大な大仏を拝むような気分になってくる。


開聞岳

長崎鼻パーキングガーデンに入る。
ここは30年以上前に来たことがあり、そのとき海岸線から見る開聞岳が美しかったという記憶があった。
しかし残念ながら期待は裏切られた。
亜熱帯性植物が繁茂しそこで動物や鳥類が生息する園内だが、荒れ果てしかも肝心の入場者が数人しかいない。
コスト削減で手入れする人も少ないようだし、改修の費用もかけられないのだろう。
これで入場料1,200円か、とあきれてしまった。
人口が少ないところでテーマパークを運営する限界を感じる。

失望して30分も滞在することなく、再びクルマを走らせ、池田湖の湖畔にたどり着く。
池田湖は 周囲15キロ、最大水深233メートルの九州最大のカルデラ湖で市の天然記念物でもある体長約1.8メートル、胴回り50センチほどの大うなぎが群生していることで知られるが、一般的にはイギリスのネス湖に棲息すると言われるネッシーの様な恐竜がいた噂されているとこととして知られる。
田湖周囲の眺めは素晴らしく、菜の花と開聞岳の写真をたくさん撮る。

今夜の宿泊は、「指宿ベイテラス HOTEL&SPA」
サイトで選んだ初めての宿だったが、これがビックリ、何しろ巨大なホテルなのだ。
知らずに取り付け道路を入ってゆくと大きな建物に威圧感を感じる。
もともと別の施設を転用したものに違いないと、直感する。
調べてみるとやはりもともとグリーンピアだった。


指宿ベイテラス

グリーンピアとは、大規模年金保養基地としてかつて厚生年金及び国民年金の受給者を対象にした余暇利用の施設だが、あまりも無駄遣いと役人の天下り先としての批判が高まり廃止された。
年金資金運用基金が、旧大蔵省資金運用部から財政投融資による貸付けを受けて設置し、地方公共団体等に委託して運営していた。
2001年の特殊法人等整理合理化計画で廃止が打ち出された後、グリーンピア指宿は 2002年5月末に運営を停止、2004年に民間企業へ譲渡された。
その後メディポリス国際陽子線治療センターが、2011年1月、九州初の粒子線治療専門施設として陽子線によるがん治療を開始している。
つまり医療施設を併設したホテルということだ。

錦江湾と指宿温泉の市街地を見下ろす標高330メートルの高台に立つ。
東京ドーム90個分という広大な敷地、そして建物内部も無駄の多いスペース、空調効率や従業員の効率配置という視点のない構造にお役所仕事の残骸をかんじて有意義な宿泊だった。
ただ食事は豪華でお得感はあった。
夕食メニューは、前菜、お造り(チヌ、本鮪、イカ、海老)、軟骨すき焼き風た まごとろろ、鯛と海老のポワレ、海老の東寺巻き・野菜天・蓮根餅玄米揚げ、和牛フィレ肉のグリル、白身魚のエスカベッシュ、ご飯、赤だし、漬け物、デザート(レアチーズタルト、フルーツ添えとコーヒー)和食と洋食を両方食べさせられた感じだ。

2時間の食事が終わると、もう身動きも出来ぬほど苦しく、部屋に戻るや否や倒れこみ、気が付いたらもう朝だった。


(つづく)