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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第33回 6月 挑戦 3000キロ!西日本走破の旅(後半)

★7日目
「指宿ベイテラス HOTEL&SPA」をチェックアウト後すぐに海岸線にある指宿名物「砂蒸し温泉」へ。
9時の開館と同時に砂むし会館「砂楽」に入る。
海岸に自然湧出する豊富な温泉を利用しており、まず裸になり浴衣を着て砂浜に降り横になる。
すると係の人がスコップで砂をかけてくれる。
天然砂むし温泉の泉質はナトリウム塩化物泉で、鹿児島大学医学部が入浴効用について学術調査を実施したところ、神経痛・リウマチ・腰痛・五十肩・膝関節痛・脳卒中後麻痺・骨折・冷え性・更年期障害等の痛み・こわばり・冷え性を伴う疾患などに有効であることが実証されたという。
たちまちじわじわと熱くなってくる。

せいぜい10分が限度、「無理しないでください やけどしますから」と声をかけられ起き上がる。
そのあとシャワーで砂を落としてから湯に浸かる。
いやあ極楽、極楽・・・。


砂蒸し温泉

およそ一時間の入浴後、出発。
喜入(きいれ)の石油備蓄基地の写真を撮り、九州自動車道を経て志布志、そして宮崎県日南市へと入るコースだ。
かつて石油ショックの教訓から国家備蓄をすることにより喜入の会場に石油タンクが建設された。
太平洋を見渡しながらのドライブは快適で気持ちがいい。


喜入備蓄基地

宮崎県に入り、マグロ漁業の根拠地、目井津港を見て、さらに北上する。
この辺りは日南海岸ロードパークという。
美しいエメラルドグリーンの海、奇岩「鬼の洗濯岩」とのコントラストも絶妙だ。
かつて日南海岸が新婚旅行のメッカだったころ「サボテン園」があった場所がいまは「道の駅フェニックス」となっている。
景勝地、堀切峠だ。
フェニックスの木のもとで、かつては新婚旅行客が、そして今は外国人観光客が記念撮影に興じている。


日南海岸

宮崎市内を経由して綾町へ。
本日の宿泊は「Villa 綾の食卓」
ネットで探し当てた宿だ。オーベルジュだという。
綾町のような地味なところで、そんな気の利いたものがあったのか、という驚きと興味で予約しておいた。
カーナビがなければまず行きつけないような、田園地帯にその宿があった。
夕方到着したが、駐車場にほかのクルマはない。
誰が迎えに出てくるわけでもなく、大きな木の扉を開けて木造平屋のレストランの中に入っていくと、厨房からシェフ姿の男性が出てきた。
どうやら一人だけしかいないようだ。

彼自身が部屋まで案内する。
客室はペンション風、きれいだが豪華というわけではない。
やはり他の客の姿は見かけない。
荷物を置き、庭に出てみると牧歌的でのどかだ。
柵もなくいきなり小川に出る。
これが日本かと思うほど人の気配を感じない。

宮崎の夕暮れは東京より遅い。
春の6時はまだ十分に明るいが夕食の時刻になったのでレストランに行く。
ダイニングはやはりほかの客用のテーブルセットはなかった。
ワインをサーブしにシェフ自らが来る。
「実は、ここは今日で閉館。西村さまが最後のお客様なんです」

どうりで寂しいわけだ。
彼は雇われの身で、宿泊客がいる場合には泊りこんできたが、ランチはともかくこの人里離れた綾町の農村まで泊まり客は少なかったようだ。
たまたま私が予約を入れたから本日までは営業していたが、もう新たな客は取っていなかったという。

何かしんみりした夕食になった。
前菜、プロシュート、海老と帆立のスープ、ステーキ、ケーキとコーヒー。
味は満足、思い出に残る宿になった。
もう一つ寝る前に見上げた空は満天の星だった。


最後のお客となった「綾の食卓」


★8日目
翌朝、松枝と名乗るシェフが作ったヨーグルト、プロシュートのサラダ、パン、ジャム(ブルーベリー、リンゴ、はちみつ)オムレツと厚切りベーコンの朝食を食べ、記念撮影をして「Villa 綾の食卓」を辞した。
思い出に残る一夜だった。

クルマでしばし、「照葉大吊橋」へ。
高さ142メートル、長さ250メートル、幅1.2メートルの大吊橋だ。
ここからの照葉樹林見物が綾町の観光の目玉である。
宮崎勤務中から知ってはいたが、来たことはなかった。
一般に日本の常緑広葉樹林は照葉樹林と呼ばれている。
このような樹林は、日本の南西部から台湾・中国の雲南省・ヒマラヤ南斜面にかけて見られるが、世界的に見て生育地は狭く、その上、古くからこの植生域に人間が定住して人類の文化の発展と極めて密接な関係があったために残された自然林は少ない。
綾川渓谷の大規模の照葉樹林は他に類を見ることができない原生的なすぐれた樹林が存在する。
高さに足がすくんだが、来てよかった。


綾のつり橋

つり橋から一時間弱で 西都原古墳群に着く。
鬼の窟古墳などを見学。宮崎にいたころも何度か来ていたが、30年前と比べて整備されて公園化していた。
昼食は懐かしいウナギの店「入船」へ。
うなぎ定食(4320円)を注文。ここは吸い物が肝吸いではない。
大豆で作る呉汁というもので私はこの店でしか飲んだことがない。
あっさりとした味が、かば焼きの濃い目のたれと一緒に食するとよく合う。
鰻は肉厚で柔らかく昔と変わらぬ味だった。


懐かしい入船のうなぎ定食

西都市は、宮崎勤務時代よく訪ねた街だった。
特にここにいたイタリア人神父が、ベトナム難民の多くの世話をしていたことを番組で紹介し、それが全国放送になり多くの共感を得た。
その後神父は亡くなり、後ろ盾をなくしたベトナム難民たちも、親戚たちが多く住む第三国へと移動してしまった。
その西都カトリック教会をようやく探し当てる。
30年近い間に道路も大きく変わり、街の風景も変容していた。

教会の建物は昔のまま、その一角だけは時が止まっていた。
神父の自宅も敷地にあった。
事情を知らない今の神父に説明するのも煩わしいので特に声はかけなかったが。
教会の内部を覗きみるとなつかしさがこみ上げてきた。
教会のすぐ近くにある「都萬神社」へ。

この辺りは西都市妻という。
妻という名前の由来は字は異なるが、この「都萬神社」にある。

この神社は木花之佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)を祭神とする。
木花之佐久夜姫が3人の皇子を育てるのにお乳の代わりに甘酒を与えたという伝承から「日本清酒発祥の地」の碑がある。
また、お乳の神さまともいわれ、母乳がでない女性がお参りすることでも知られる。
日本初の結婚式が行われたとも。
ここらあたりに「妻」という由来もありそうだ。

旧国鉄時代、佐土原と杉安の間に妻線という鉄道が走っていた。
その中心駅が「妻」という駅で、この近くにあった。
この駅の入場券には「入妻」と記載されており結婚式の引き出物によいと、全国から購入希望があった。
昭和59年に国鉄の赤字廃止対象路線として姿を消したが。
実は「さよなら妻線」という番組を作ったのが私だった。
私とデイレクターの二人は、その廃止当日に西都市内の結婚式場で結婚式を挙げる新郎新婦がいることを調べた。
事前にお願いして、夕方の最終列車に二人がタキシードとウエディングドレスで飛び乗るというシーンを撮りたいとお願いした。
二人とも地元出身、この鉄道で高校にも通った思い出があり、我々の頼みを快諾してくれた。

当日。
日頃は利用者が少ないからこそ廃止が決まったのに、この日だけは駅にも、そして列車にも人が鈴なりだった。
私たちは駅の近くにある結婚式場に待機しつつ、駅にも何度か足を運び段取りに抜かりはないか、下見を繰り返していた。
「それでは皆様、間もなく幸せ行きの列車が出ます。
新郎新婦が走って列車に飛び乗ります。
皆様も引き出物の妻駅の入場券『入妻』をお持ちになり、後に続いてください」
時計を気にしながら司会者の一言で、まず新郎新婦が駆け出し、参集者が後に続く。
番組の最後にスローモーションで最終列車に飛び乗る二人。
そして二人の母校のブラスバンド部が演奏する「蛍の光」がエンディングに流れる。
若い頃はそんな番組を制作するのが好きだった。

30年以上前の「蛍の光」が聞こえてくる気がした。
あの頃と現在との最大の違いは縦に長い宮崎県を縦貫する東九州自動車道が完成したことだ。
これまでは南部の宮崎市から北部の延岡市にクルマで行こうと思えば、国道を2時間走ることを覚悟しなければならなかった。
しかし西都インターチェンジから乗り、延岡まではいまは1時間かからない。
経済的効果は相当大きいことを実際に走ってみて実感する。

午後高千穂町へ。
天孫降臨の地として重要な槵触(くしふる)神社、天岩戸神社、そして高千穂神社を相次いで回った。

槵触(くしふる)神社とは天孫降臨の地として伝えられる槵觸の峯に位置し、槵触山をご神体としている。
天岩戸神社は、日本神話(古事記・日本書紀)にある天照大御神が隠れた天岩戸と呼ばれる洞窟を御神体として御祀りしており、天岩戸神話の舞台となった場所だ。
岩戸川をはさんで西本宮と東本宮が鎮座しているが両社とも天照大御神を御祭神として祀る。

高千穂神社は創建は1900年前にさかのぼり「高千穂皇神社」として「続日本紀」にもその名が見られる歴史ある神社。
天津彦火瓊々杵尊・木花開耶姫命、彦火火出見尊・豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊・玉依姫命という六柱の総称である高千穂皇神を祀っている。
天孫降臨の地である高千穂の八十八社の総鎮守である。
ここは昼間一度参拝して夜もう一度訪ねることになる。


天の岩戸

今夜の宿は「国民宿舎ホテル高千穂」である。
ここには40年前大学生の頃泊まりに来た記憶がある。
木造のやたら汚かった記憶かあり、今回も高千穂にはあまり心当たりのいい宿がないなあ、と思いつつ夜神楽見物に高千穂陣神社に行くのに最も近いところという選択肢でこの宿にしたのだが・・・。
記憶は裏切られた。
立て替えられ近代的な結婚式も行うような大きなホテルになっていた。
国民宿舎という公共の宿というイメージではなく、明るく広い部屋でホッとした。
チェックイン後早めに夕食、そのあと8時から行われるという高千穂神社に夜神楽に行くことにした。
国民宿舎だからあまり期待はできないのでは、と思ってはいたが、想像したより豪華なメニューだった。
内容を紹介すると、白和え、前菜、お刺身、高千穂牛のしゃぶしゃぶ、煮物(菜竹饅頭、ナス、竹の子、かぶら庵)、揚げもの(かき、鱈白子、野菜)、焼き物、炊き込みご飯、お椀、フルーツといった具合である。

夕食を終えて高千穂神社へ。
5年間宮崎に勤務して、しかも放送局という地元の文化伝統を紹介する仕事をしていながらなぜか縁がなく、高千穂の神楽を見たことがなかった。
それだけに今回の旅でも楽しみの一つだった。
本来の神楽は、冬の時期の夜中に神楽宿で演じられるから、地元の人以外にそれを見るというのは現実には難しい。
そこで地元の観光協会などが、季節を問わず神社の神楽殿で観光客向けに神楽の実演を行うようになっていた。
伝承のためにも後継者の稽古の場にもなっているようだ。
8時から始まった神楽実演には観光客が50人以上見学に来ていた。
外国人も興味深いようで、しきりにカメラを向けていた。

もともと夜神楽は、里ごとに氏神様を神楽宿と呼ばれる民家や公民館に招き 夜を徹して三十三番の神楽を一晩かけて奉納する昔からの神事だ。
例祭日は集落によって異なり、毎年11月中旬から翌年2月上旬にかけて、町内二十の集落で奉納される。
この夜の実演では三十三番の神楽の中から代表的な4番「手力雄(たぢからお)の舞」「鈿女(うずめ)の舞」「戸取(ととり)の舞」「御神体の舞」が演じられた。
一時間の公演は、観光客にとっては何よりの思い出となったはずだ。


神楽公演



★9日目
チェックアウト後、クルマで5分高千穂峡へ。
渓谷と滝で知られる幻想的な高千穂峡の景色をカメラに収めた。
高千穂峡は昔、阿蘇火山活動の噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、 急激に冷却されたために柱状節理のすばらしい懸崖となった峡谷である。
とくに「真名井の滝」は約17mの高さから水面に落ちる姿は美しい。
天孫降臨の際、天村雲命(あめのむらくものみこと)という神がこの地に水がなかったので水種を移した。
これが天真名井として湧水し、滝となって流れ落ちているといわれる。

高千穂から今日はあえて高速ではなく、国道伝いに九州を北上することにした。
山道を走り、九州山地の自然を満喫しようというわけだ。
久住高原を駆け抜け、耶馬渓の岩石美を仰ぎ見て、大分県中津そして行橋へ。
ここから北九州都市高速道路経由で関門橋を渡り、今夜の宿下関へと向かうことにした。
正午近く「九重夢の大吊橋」を通過。気温は2.5度しかない。
「九重夢の大吊橋」は2006年にできた。
標高777m、長さ390m、高さ173m、幅1.5m。歩道専用として『日本一の高さ』を誇る吊橋だ。
すぐ目前に「震動の滝・雄滝」や「雌滝」を望み、足下に筑後川の源流域を流れる鳴子川渓谷の原生林が広がる。


高千穂峡

昼は途中でうどんを食べ、午後には耶馬渓に着く。
耶馬渓とは、大分県中津市にある山国川の上・中流域及びその支流域を中心とした渓谷だ。
ここは火山活動による凝灰岩や凝灰角礫岩、熔岩からなる台地の侵食によってできた奇岩の連なる絶景地帯だ。
とくに「深耶馬溪」にある「一目八景」というところは若葉もみじの新緑から錦もみじの紅葉期まで、一年中鮮やかな景観を見せてくれる深耶馬溪の観光スポットとして知られる。
群猿山、鳶ノ巣山、嘯猿山、夫婦岩、雄鹿長尾の峰、烏帽子岩、仙人岩、海望嶺などの周囲の岩峰群が、一目で八景を一望できることから名づけられた深耶馬溪の名所だったが、熊本地震のあと崖崩れが起きた。
がけ崩れの姿がそのままにとどめられており、自然の力を思い知らされる。


耶馬渓

幽谷の世界にクルマを走らせ、耶馬渓最後の見どころ「青の洞門」に到着する。
「青の洞門」とは、禅海和尚という人が30年かけてノミと槌だけで掘った隧道で、長さは344mある。
現在の洞門は明治40年にほぼ現在の洞門に近い形状で大改修が行われ、旧道の明り採り窓や手彫り洞門の一部が残されている。
菊池寛の『恩讐の彼方に』で有名になった。


青の洞門

耶馬渓に別れを告げ、国道10号に出る。
長い山越えではあったが、たっぷりと景色を楽しんだ満足感が残る。
椎田インターチェンジから東九州自動車道に入ると、関門橋までは1時間かからなかった。
関門橋は九州と本州を結ぶ吊橋で全長1,068m、幅6車線の大きな橋だ。
海面から橋げたまでの高さは満潮時でも61mあり、関門海峡を通過する大型船舶が余裕をもって航行できる。
橋を渡るのはあっという間、もう下関市だ。

地元の老舗旅館「春帆楼」を予約してある。
お目当てはフグコースだ。
ここは日本で最初にフグ料理を出した店、敷地内に記念館があるのはここが下関条約調印会場にもなったからだ。
明治28年3月、日清戦争後、日本側が伊藤博文、陸奥宗光、清国側が李鴻章、両国の全権団がここ春帆楼に集まり、11か条からなる講和条約を締結した。


ふくコースに舌鼓

部屋に通される。
窓から正面に関門海峡が見渡せるという素晴らしい眺めだ。
高台から見下ろすのでまさに絶景だ。
お抹茶と和菓子のサービスにきた仲居さん曰く、1日に約700隻の船が行き交うという。
部屋にはチェックインする夕方から、翌日チェックアウトの時間帯までに目の前を通過する大型船の予定時刻、船名、目的地などが一覧表になって置いてあった。
これは楽しい計らいだった。
目の前の大きな船の名前や目的地などが分かるといろいろ夢が膨らんで楽しいものだ。


関門海峡を大型船が通過する

食事前に隣接する赤間神宮へ。
800年前、源平最後の合戦に安徳天皇は平家一門とともに壇之浦に崩じた。
二位の尼に抱かれて入水された幼帝安徳天皇を祀った神社がここだ。
境内には、平家一門の墓、小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」の芳一堂などがある。

部屋に戻り、夕食が始まった。
楽しみなフグづくしである。
明治20年、伊藤博文が春帆楼に逗留したおり、海が時化続きで漁ができなかったことから禁制のフグを出したところ賞賛され、翌年禁制が解かれ春帆楼は ふぐ料理の許しを得た1号店となった。
今夜のメニューは、先付として鯛わたのとも和え。
前菜は季節の五種盛、御椀としてふく真丈(しんじょう)のすまし仕立て、向付はふく薄造り、焼物が、ふく香草焼と季節野菜のソテー、揚物としてふく唐揚げ、そしてふくちり鍋である。
このほか蒸物として鮑茶碗蒸し、またふく皮サラダ、そして御飯は、ふく雑炊 である。
ふぐのフルコースを堪能し、食後はベランダから船を見ているうちにいつの間にか舟をこいでいた。


★10日目
朝食後、クルマを旅館に預けたまま、歩いて唐戸市場に行く。
水産物卸市場だが、ここは観光客のレストラン機能も兼ねている。
新鮮な寿司などを求めてたくさんお人が集まってくる。
それはランチの楽しみとして、午前中はこの唐戸港から、関門海峡に浮かぶ巌流島を目指す。
私は3度目だがここからの眺めが気に入っている。


巌流島はお気に入りの場所

巌流島は無人島だ。
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘シーンを描いた銅像があるほかは特に施設もなく、売店すらない。
次の船が来るまでの間、この島からの眺めを楽しむだけだが、何しろ狭い関門海峡の真ん中だから行き交う船の数が半端ではない。
一日居ても飽きない風景なのだ。
今日も雲一つない晴天、日ごろの憂さを忘れ、ぼんやりたたずむには最高の所である。

唐戸に戻り、市場の二階にある回転すしへ。
11時の開業前から行列ができていたが、それを見越して早めに名前を書いておいた。
貝汁とあら煮、そして新鮮なねたの寿司に大満足。
唐戸市場はふぐの市場として有名で 関門の市場 とよばれる。
昼時は外国人観光客を目当てに寿司バイキングが人気だ。


外国人でごったがえす唐戸市場

早めのランチでお腹も膨れ、旅館にクルマを取りに帰り、午後からは大移動となる。
中国自動車道から山陽自動車道に入り、下松サービスエリア、 福山サービスエリアで休憩しながら一気に姫路へ。
夕方5時には予定通り「姫路キヤッスルグランヴィリオホテル」にチェックイン。
このホテルは姫路市内でも老舗のシティホテルで何度か講演できたことがあり、今回も予約したのだが、「グランヴィリオ」という聞きなれない名前が付加されていたので予約段階で不思議に思ってはいた。
ホテルに来て分かったのだが、あのビジネスホテルチェーンのルートインの傘下に入ったようだ。
ルートインというブランドはビジネスホテル、やや上のラインのホテルブランドは、地方の老舗ホテルなどを買収して「グランヴィリオ」シリーズとしているらしい。
日帰り入浴温泉も併設されていて泊り客は無料で入浴できる。
価格もリーズナブルだし、ルートイングループのネットで集客もできるからホテルとしては稼働率も上がっているように見えた。


★11日目
朝食を済ませ、ホテルを後にし、9時の入場開始前から姫路城受付に並ぶ。
土曜日でもあり、姫路城はかなり混むと予想し早めの行動に出た。
世界遺産姫路城は、奈良の法隆寺とともに日本で初の世界文化遺産に認定された。
シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる。
白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴。
近年の大修理で城の鮮やかさが蘇り、再び人気が増している。
何回か登城しているが、今朝も早くから長蛇の列だ。


姫路城

個人的には今回初めて見学した好古園が印象的だった。
城に隣接する西御屋敷跡庭園のことだ。
市制百周年を記念して建造された約1万坪の日本庭園で文化財の保全と活用を兼ねた新しい文化の場として平成4年に開園している。
元和4年(1618)に本多忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷、通路跡等の遺構が確認されている。
いくつものゾーンに分かれてさまざまな木々花々が植えられ、和風テーマパーク的植物園の趣だ。


好古園

昼前に姫路を後に名神高速道路、東名高速道路で帰路につく。
途中大津サービスエリアで「ダイニング叶」に入る。
ここは京都の和菓子の名店「叶匠壽庵」が経営するレストランだ。
高速民営化後のサービスエリアのリニューアルが急だが、琵琶湖を臨めるこの大津は関西有数の集客を誇る。

若鳥のかつ丼はおいしかった。
そのあと養老サービスエリアで富有柿ソフトクリーム。
駿河湾沼津サービスエリアで早めに夕食にシラスと桜エビ丼を食べた。
夕方夕日に輝く富士山は第二東名高速道路の最高の眺めである。
正面に見る雄大な富士山が、長い旅お疲れさまとほほ笑んでいた。


第二東名から見る富士山